部長『え!?名刺ないの!?』
石田『すいません』
またいつもの「すいません」だ。
サラリーマンプログラマだった時代。
何度「すいません」と言ったことか。
謝罪は失敗の数に正比例する。
2006年秋。
新しい派遣先の面接の日。
※面接を通過して、晴れて派遣されることが多い。
名刺を切らしていたことが気がついた。
当日の朝だった。
普段名刺など使わない。
派遣されるだけなので、
せいぜい派遣先の同じプロジェクトのメンバーとか
エライ人とか、そのくらいとしか名刺交換しない。
プロジェクトは数ヶ月続くことが多いので、
名刺の管理など普段はしないのだ。
冷や汗を隠すのに精一杯だった。
─ ◇ ─ ◇ ─ ◇ ─ ◇ ─ ◇ ─ ◇ ─
私は札幌の東区にある、とある会社に派遣されることになっていた。
プログラマというと実は、比較的大きな会社に
応援部隊として「派遣」されていくことがほとんどだ。
たとえば30人規模の小さなソフト会社があったとする。
もしこの会社が1000万円の仕事を受託したとする。
コストはほとんど人件費、つまり給料なわけだ。
仮にもろもろ含めて1人あたり40万円必要だとする。
たとえば5人で4ヶ月だと見積もった場合
コストとしては800万円だ。
この差額200万円が会社の利益となる。
そのような仕組みなのだ。
しかし・・・その見積が甘く
5人体制で4ヶ月経っても完成しなかったとしたらどうなるだろうか?
5人で5ヶ月。
1000万円だ。
プラマイゼロ。
ただし営業コストなどなどがかかっていることを加味すると
赤字となる。
これはまだ良い方で、
途中から「間に合わない!」と気が付き2人増員。
そうなると40万円×2×作業月数がコストとして加算され、
目も当てられない事態となる。
しかもこれは、比較的
『よくある』話だ。
受託開発は、見積りどおりであれば利益を有無が
見積りを誤るととんでもない赤字となる。
そのため小さな会社は受託することに慎重なのだ。
もっとリスクが少なく、利益が確実に確保できるビジネスはないのか・・・。
それが「派遣」ビジネス。
多少の赤字が出ても大きな会社であれば体力があるので
それほど大事にはならない。
そのため受託開発は、大手が好むビジネスだ。
その「大手」に対して「吹けば飛ぶような会社」が
プログラマを派遣するわけだ。
ただ・・・プログラマとしてはそのような仕事は
面白くないことが多い。
なんだかんだ言っても、
やはり愛社心はある。
同じく夜遅くまで仕事をするなら、
どこの馬の骨ともわからない会社より
自社のほうがいいに決まっている(通常)。
しかも派遣先の大手は、
派遣されてきたプログラマに手厳しいことが多い。
なぜか?
大手が5000万円の仕事を請け負ったとする。
この会社が利益を出すためには
安いプログラマに、たくさん仕事をさせるのだ。
見積りでは「1プログラマあたり80万/月」で見積もるが
(お客さんにもそのように説明)、実際にはそれ以下の金額で
派遣を募集する。
80万/月のプログラマより60万/月のプログラマ。
60万/月のプログラマより50万/月のプログラマ。
そして深夜まで働かせる。
すると予定より安く、早く完成し
ガッポリ儲かるという寸法だ。
ただ「派遣プログラマがボロボロになる」という副産物が生まれるが・・・。
私はその「派遣プログラマ」だったのだ。
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遡ること1ヶ月前。
私は狂喜乱舞していた。
いままでに無い、革新的な機能が組み込まれたマーケティングソフト
「アクセス解析の達人」。
「アクセスを分析してマーケティング活かす」というノウハウを
無料レポートとして作成し、それを大量に配った。
その中には自作ソフト「アクセス解析の達人」も
分析例としてたびたび登場する。
無料レポートを読んだ人は
自然と「アクセス解析の達人」が欲しくなるという寸法だ。
そしてそれは大成功。
売上メールが止まらない。
いままで「やった!売れた!」と言っても
しょせん2000円くらいの商品が、1日に2本とか3本とかが売れて
それが1ヶ月のうちにほんの数日程度発生するくらいだった。
しかし2006年7月に発売した「アクセス解析の達人」は
中旬から売れ始め、1日5、6本が毎日途切れることなく
売れていた。
価格は6800円。
1日あたり3万から4万の利益となる。
3週間の値下げキャンペーンだったため
それは3週間ほどで終わったのだが
ともかく副業としては目が飛び出るほどのキャッシュが
口座に振り込まれてきた。
1日の昼食を500円と決めて、
もし600円になった場合には、翌日400円にした帳尻を合わせていた私には
信じられない金額だった。
昼間は派遣プログラマとしてこき使われているが
裏では自分でソフトのアイデアを練り、マーケティング戦略を練り
価格を練り、セールス文章を練って、そして自分の力だけで
利益を稼いでいた。
長男はもうすぐ1歳になろうとしていた。
当然頭によぎる「独立」の文字。
こんなワクワクする仕事を
本業にできたとしたら、どんなに楽しいだろう。
1歳検診のために早退。
帰宅途中の夕日を見ながら夢を膨らませていた。
独立するまであと・・・1年。