12月25日、23:15、私は救急病院にいた。
クリスマスに救急病院。
これほど不釣り合いなものはない。
つい1週間前に妻が、里帰り出産から帰って来ていた。
久しぶりのわが子との対面に喜んでいるのもつかのま、大変な育児が待っていた。
修羅場。戦場。そんなワードがぴったりの日常になる。
25日に人生で初めて自作商品を自分の力だけで販売し、予想を超える6000円の利益を得たのだが、その喜びを妻に報告する暇はなかった。
妻が突然、40度近い高熱を出したのだ。
難産のダメージから回復する間もなく初めての育児。相当のストレスがかかっていることはわかっていたが、なんとか気力で乗り切っているのだろう。
それに加え千葉から札幌への、当然の気候の変化により体調を崩したらしかった。
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生後2ヶ月の息子は、近くに住んでいる妹夫婦の家に預かってもらい、私たちは救急病院に向かった。
幸い何事もなかったのだが、子供にうつっては大変なので、自然と私の育児割合が増えていく。
結局12月の売上はこの4本で終わる。育児に比重が移ったとはいえ、それ以降1本も売れないことに私は焦っていた。
この4本が、毎日1本ずつ4日間に渡って売れていけば気持ち的には楽なのだが、初日に4本売れてそのあとピタッと止まるのはなんとも言えない不安にさいなまれる。
「おかしい・・・」
初日に4本なので、せめて年内に10本は売れてもいいだろう。なのになぜ?
12月28日。さらにセールスのメールを一斉配信してみた。
しかし・・・私の携帯には、母親から「育児は順調かい?お正月はいつ帰ってくる?」というメール以外届くことはなかった。
なぜだろう。セールスの文章が悪いのか?
初日はそれなりに反応があったため、そこまで文章に問題があったとは思えない。
そのとき、私はあることに気がついた。
「もしかして・・・!」
セールスのメールは、約150人に送信している。無料サンプルを申し込んだ人たちだ。その中に、テスト用として自分のメールアドレスも入れておいたのだが、そのメールアドレスにはセールスメールは届いていない。
「バグだ・・・」
自作のメール配信ソフトで150人に一斉送信していたのだが、バグがあり、最初の50人にしかメールが送られていなかったことがわかった。
安堵と後悔。相反する2つの感情が私の胸で渦巻く。
「きちんと150人に後れていれば、3倍売れていたはず」「100人に送れば、8本くらいは売れるはず」という思いだ。
私はさっそくメール配信ソフトの修正にとりかかった。しかしバグの根は多いのほか深かった。
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セールスにはタイミングがある。
無料サンプルを申し込んでくれても、私の名前などすぐに忘れてしまうだろう。それどころか無料サンプルを申し込んだことさえ忘れてします。
そのためすぐにでもお礼、ノウハウなどのメールを送らなければ、その後のセールス効果は薄くなる。
無料サンプル申し込み者に対して「ありがとうございます!今後も試験合格のための勉強法に関する情報をお届けします」とメールをし、その後も「なるほど!」と思ってもらえるノウハウを提供していくのだ。
そして人間関係が構築できたところでセールスをかける。
しかしこの流れでセールスをかけられたのは、わずかに50人だけとなる。残りの100人は、すでに私のこと、無料サンプルのことなど忘れているだろう。
焦りは増していく。改善しないバグに苛立ち、12月は過ぎていった。
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2006年1月。子供と過ごす正月は不思議な気持ちだった。
結婚してからは妻と2人で過ごしていたのだが、そこに1人加わることに表現できない喜びがあった。
しかし、ゆっくりしているわけにはいかない。
死守しなければならない『2006年2月 2万円を稼ぐ』は来月に迫っていた。
目標を設定した当初は「あと10ヶ月もある」と思っていたが、実際にチャレンジしてみると時間の流れは速かった。
とはいえ自信はあった。すでに売上をあげる体験はしているのだ。同じやり方で2万円はいけるはずだ。
しかし商品が1つでは心もとない。ノートパソコンに眠っている「SEが身につけるべき7つの秘訣」の音声ファイル。これも売ることにした。
それだけでは不安だったため、さらに商品をもう1つ開発することにした。同じく過去問題の解説だ。
情報処理技術者試験には14もの試験がある。私が作ったのは「基本情報技術者」という、比較的簡単な試験の解説CDだが、さらに簡単な「システムアドミニストレータ」という試験もある。この試験の解説CDも売ることにした。
同じく参考書を2冊買い、原稿を作成する。
要領はすでにわかっているのだが、今回は家族が家にいる。
子供が寝ている時に音声収録はできないため、作業が思うように進まない。それ以前に、録音している場面を妻には見せられない。
当時まさか自分の夫が、解説CDを作って独立するつもりがあるなど信じてはいなかった。
お小遣い程度の利益が出たことは知っていたが、生活できるほどの売上が生まれることなど信じられるわけがない。
家族の同意が得られるには、実績しかないのだ。そんな状況で「問1、CPUの機能として・・・」などとマイクに向かった一人しゃべっているところなど、恥ずかしくて見せられなかった。
そんなこともあり、作業進捗はすこぶる悪かったが、1月中旬にはなんとか商品が完成した。やはり「慣れ」は強い。
またその間、自作のメール配信ソフトの修正が完了し、150人に対してメール配信を再開していた。
その結果、1月だけで8000円の利益が発生していた。
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いよいよ2月になった。2万円を稼ぐという勝負が始まったのだ。
2万円といっても、いままでの累計ではない。単月で2万円だ。1円でも不足することは許されない。
久しぶりの高揚感だった。もしこの目標が達成できれば大きな自信につながる。
「不可能だと思える目標も、1つ1つ問題をクリアしていけば達成できる!」という自信だ。
自信はモチベーション維持に効果をもたらす。
当たり前のように強いられる残業で、帰宅は21時を超えることが当たり前になっている。
その後、妻の話し相手や子供をお風呂に入れたりなどで、副業を開始できるのは早くても23時になる。
さらに生後3ヶ月の息子の夜泣きが始まっていた。そして3時間ごとに繰り返されるミルク。もう体力的には限界だった。
体力は精神にも影響する。たまに訪れる不安感。「こんなことやっていて、本当に独立できるんだろうか・・・」と。
それを払拭できるのは「不可能だと思っていた目標の達成」しかない。
2006年2月1日。いよいよ挑戦が始まった。目標達成期限まで、あと28日。